作家紹介

アーチスト写真

生命の輝きを一刀に込める

木や石に潜む、光を削りだす

彫刻家

岸野承

KISHINO Sho

生かし生かされ生まれゆくもの

「あそこに雑然といろんな材料を置いてるでしょ? ああいうのがいつも目に入ってるんですよ。そうやって眺めているなかで、ぱーっと見えてくる瞬間というのがあるんです。朝の散歩のときも、鳥とか見ながら出てくるときもある。だから、しばらく材料と過ごさないと作品は作れません。これまでの自分の経験と同化させていったときに、見えてくることがある。そうなったときに彫っていくんです」
 木や石の思いに従っていくには、少なくとも相手を知る必要がある。互いを同化させていくには、相手にも自分を知ってもらう必要がある。時間をかけてじっくりと向き合い、意思の疎通が叶ったあとは、その声を取りこぼさないよう、瞬間瞬間を切り取っていく。
「過去の作品も、それはそれで、そのときのわたしにしか彫れないものやから、それが悪いわけじゃない。もちろん今とはぜんぜん違うものを彫ってるし、今やったらまったく違うものを彫るでしょう。じゃあ、だからといって、比較して今のがいいものを作ってるとは、わたしには言えない。そのときのわたしにしか彫れないものですから」
 ものごとは常に変化しており、その瞬間は二度と訪れることはない。二度と訪れることのない瞬間を、岸野は一刀に込める。そして木や石は、それに応える。応えながら、彼らは生きてきた時の長さを岸野に伝える。
「古材というのは色がバラバラなんです。煤で色をつけるのは、そうしないと自然には見えないから。自分が彫ったものをより明確にするためには、ちょっと色をつけてないと見にくいんです。あくまで自然の持っている色を消さないように、それぞれの色を生かしながら、より自分の思いをわかりやすくするための手段として、煤で色をつけてます」
 人と木、人と石、個性の違うもの同士が互いに持てる力を生かし、生かされ何かを生み出す。そこにはアンバランスなようでいて、バランスのとれたシンフォニーが生まれる。生きとし生けるものの生命の共鳴によって、新たな時が刻まれてゆくのだ。

 

生きている「今」を慈しむ

「わたしね、制作するのがすごく楽しいんです。ほんとに楽しい。生きることそのものが楽しくて、普段から生きることを楽しんでます。人と会うのも好きだし、飲みに行ったり、遊びに行くのが大好きなんですよ。時間とお金があったら、いつでもだれかと飲んだり遊んだりしたいくらいです(笑)」
 岸野は満面の笑みでそう言った。そこには孤独な姿などひとかけらも見当たらない。にもかかわらず、作品には「孤」を思わせるなにかが潜んでいる。
「人間ていうのは生まれるのも一人ですし、死ぬのも一人です。生と死は隣り合わせにあって、〝死〟いうもんが、いっつも側にあるというのは感じるんです。それはね、兄と姉のことがあったから」
 禅との出会いは〝たまたま〟だった。しかしその背後では、兄の病と姉の死が重い影を落としていた。
 そして「死」というものを考えたとき、岸野のなかで「生」への思いが変化した。生きている「今」という時間が、かけがえのないものとして輝き始めたのだ。
「禅の世界に入って、いろんな執着から解放されました。作品も出来てしまったら、もう手が離れるんでね。それよりも今は、作品作りも含めて、執着から離れて楽々悠々で生きていられるのが楽しいんですよ」
 開け放たれた縁側の向こうから、少し汗ばむ初夏の陽気を跳ね返すように、さわさわと草木が爽やかな風を送り込んできた。それは一瞬のことで、あとには優しい静寂が広がった。
 岸野の作品に慰められるのは、そこにこんな穏やかで優しい時間が流れているからなのかもしれない。
 生きている今を慈しむ心が、その一刀の鑿に込められていたのだ。

 

(作品『坐(柳生家屋敷敷石)』)

* 取材・原稿/神谷真理子  写真提供・協力/銀座一穂堂 tokyo@ippodogallery.com

 

 

 

 

人の心に寄り添う作品を生む彫刻家、岸野承さん。古材や石のかたちを生かしながら、羅漢像や仏像、鳥や母子像などを削り出すためには、我を消して相手に合わせていく必要があるといいます。慈愛に満ちた作品が生まれる背景には、どんなストーリーがあるのでしょうか。

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