作家紹介

アーチスト写真

紙に生命を吹き込む〝God hand〟

紙の昆虫が伝える森羅万象の姿

紙造形作家

小林 和史

Kobayashi Kazushi

 幼少の頃より小児喘息を患っていた小林和史は、いつしか紙で虫を作ることを始めていた。それはやがてリハビリテーションに、そして祈りへと昇華していった。

 やがて彼は1ミリを16等分に切り分けるほどの能力を身につけ、紙に命を吹き込むようになった。そんな彼は、〝God Hand〟とも呼ばれ、今では世界的に名の知られた人たちがコレクターとして名を連ねる。

 喘息に苦しんだ彼はどのようにしてその手業を身につけたのか。その真髄を紹介する。

3歳でハサミを握り、昆虫を作る

SPROUT/芽生 神の手をもつ男がいる。自由自在にハサミを操り、一枚の紙に命を吹き込み昆虫を生む。1ミリを16等分に切り分けるその手にかかれば、蜘蛛や蝶など容易いもので、蚊や蚤でさえ実物そっくりに作りだしてしまう。

 ノコギリのような6本の脚、鋭く尖ったかぎ爪、今にも鱗粉が舞いそうな羽、獲物を待ち構える鋭い牙、ピンと張った糸のような触角……、肉眼では確認できないほどに細やかな昆虫の生態を、実寸大で再現する。耳をすませば、羽音や息づかいまで聞こえてきそうだ。本物のカマキリが間違えて作り物の蠅を口にし、吐き出したというのもわかる気がする。まさに〝ゴッドハンド〟である。

 男の名は、小林和史。アートディレクターやデザイナーの肩書きのむこうに、生まれついての「紙造形作家」の顔をもつ。いや、作家とは思っていないだろう。なぜなら、小林にとって紙で昆虫を作ることは、幼い頃からの遊びであり、リハビリテーションでもあるのだから。

「10歳まで重度の小児喘息だったんです。だから、紙を切って昆虫を作ることはやむにやまれず始めたことで、僕にとって遊びといったらこれしかなかったんです」

 この世で起こることに偶然はなく、すべてが必然だとするならば、幼少時の小林の身に起こったことも必然。しかしそれは、今だから思うことであり、小林は述懐するたび「今思えば」と前置きをした。

 初めてハサミを握ったのは3歳のとき。幼児用ではない、大人仕様の先の尖った鋭利なハサミで紙を切り、昆虫を作った。手本としたのは、アマチュアの蒐集家だった父親が、世界を回って集めてきた昆虫の標本だった。

「いつ発作が起きるかわからないので、父親と一緒に昆虫採集に行きたくても行けないんです。夜中に発作が起こると眠れなくて、そんなときは、父親が集めた標本を眺めていました。必然的に、近くにあったハサミと紙で作り始めたんです。うちにはハサミや道具類が常に身近にあったのでね。それがはじまりでした。本物のように作れば作るほど、自分も父親と一緒に野山に昆虫採集に行ったような気持ちになりました。そうやって作っては捨て、また紙を切って作るということをくり返していたら、発作は治まっていたんです」

 思い返せば、突然の発作に怯える日々だった。しかしそれも、昆虫を作っているときだけは忘れられた。だから、夢中で昆虫を作り続けた。まるで、何かにとり憑かれたように。

 自律神経系の病は、なにかに無我夢中になることが、ひとつの治療法だというが、このときの小林もそうだったのだろう。

 意識から外れた病は行き場を失い、小林の元を去っていった。祈るように、無心になって紙を切り、昆虫を作りつづけた小林は、病魔と引き換えに、天から神の手を授かった。

 

〝天は自ら助くる者を助く〟

 

パリを魅了したゴッドハンド

我想-GASO/There we because I think we… 自宅を兼ねたアトリエは、パリのアパルトマンのように個性的で、手作りのものに溢れている。天井を取り払い梁をむき出しにしたり、もとの床を剝がして古木に張り替えたりといったアレンジももちろん、小林の〝神の手〟によるものである。古いものと新しいもので埋め尽くされた室内は、そのままアート作品のようだった。創作の原点でもある父親の標本のほとんどはセピア色に色あせ、重ねてきた年月を思わせる。

「これは8歳のときに作ったんですよ」

 差し出された標本に目を見張った。8歳の子供の作品とは思えないほどの精緻さである。ルーペで確認した脚先は細やかで、現在の作品を彷彿とさせた。

 初めて自分用に買ってもらった4歳当時のハサミは、新品と見まごうほどの輝きを放っていた。磨きながら大切に保管してきたのだろう。壁にはいくつもの大きな裁ちばさみが掛かっている。ファッションデザイナーでもある小林を思った。

 昆虫を作り続けていた小林は、それだけでは飽き足らなくなり、やがて、衣装や空間など、人間の生活を彩るデザインの世界へと興味を広げていった。なかでも、ファッションへの関心が高まり、パリへ飛んだ。腕に自信があった彼は、パリへ渡航する資金狙いでさまざまなデザインコンクールに参加し、多数の賞を射止めた。その幾つかが、ピエール・カルダン賞であり、日本のオートクチュールデザイナー、森英恵賞であった。約1年間のパリ留学を与えられ、小林は、ファッションの聖地において、デザイナーとしての可能性を広げていく。

 それを確信させるエピソードがある。パリから休暇をとってイギリスに渡ったときのことだ。ポンドに両替せずにヴィクトリア駅に着いてしまう。運悪くその日は銀行も両替所も休み。言葉もままならないロンドンでひとり途方に暮れた。苦肉の策が、路上パフォーマンス。それまで一度も人前でやったことのない紙昆虫作りを、道行くイギリス人相手に披露したのである。

「大盛況でしたよ。こんなことでお金が稼げるんだと驚きました。なかばリハビリテーションのためにはじめたことで、ずっと封印していましたからね。昆虫作りは恥ずかしいことだと思っていました」

 自分の中の何かが解き放たれ、これを機に人前での紙昆虫作りは解禁された。

 高い技術力に加え、もともともっていたセンスの良さが、ヨーロッパで開花したのだろう。帰国後、小林は三宅一生に見初められ、イッセイ・ミヤケのデザイナーとして活躍する。

〝天は自ら助くる者を助く〟。

 この言葉ほど小林にぴたりと当てはまる言葉はない。

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