作家紹介
アーチスト写真

紙に生命を吹き込む〝God hand〟

紙の昆虫が伝える森羅万象の姿

紙造形作家

小林 和史

Kobayashi Kazushi

手が記憶する祈りの儀式

 

本質を引き出す神の手

廻-KAI/Cycle「頭で考えるのではなく手で考える」と言う小林は、創作のひらめきも手から得ているという。あたかも手に脳があるかのように、考える前に手が動くのである。その手のひらめきによってもたらされた仕事はどれも華々しい。舞台美術演出、コンテンポラリーダンス、舞台、映画等のコスチュームデザイン、映画監督とジャンルを問わない。さらに、メゾンエルメスや蔦屋代官山T SITEなど、数多くの施設アートディレクションにも携わっている。小林の手にはやはり、神が宿っているようだ。

「昆虫は複雑に見えるけれど、よく見ると、とてもシンプルにできていることがわかります。世の中の生き物は、本質的には、どれもシンプルにできているんだと思いますよ」

 本来はシンプルであるはずのものを、人間は複雑にする。複雑であることが個性的で、存在の証明とでもいうように。シンプルであることは簡単なようで難しい。だが、シンプルな中にこそ本質がある。そのことを、小林の手は知っているのだ。

「作っても作っても終わりがありません。これは、僕の祈りの儀式ですから。それに、作るたびに新たな発見と課題も見つかります。実在する昆虫を作ってはいますが、かといって、忠実に再現するだけじゃない。一度自分の中で咀嚼して、新たに生みだします。もはや、虫の形はしていても、実は必死に生きる人間の姿なんです」

 病弱だった小林を救ったのがその手であるなら、見知らぬ国や、新たな境地、数々の分岐点で自身を救ってきたのも、まぎれもなくその〝手〟であった。

 祈るとき、人はなにゆえ手を合わせるのだろう。手に心があるかのように、祈りに合わせて手は合掌を求める。手というものは、祈るためや、願いを叶えるためにあるのだろうか。だとしたら、小林の手に宿った神は、人間に森羅万象のありようを思い出してほしいと祈っているのかもしれない。小林の手を借りて、すべての生き物はひとつだということを、思い出させるために。

「昆虫はどこにでもいます。ただ、われわれ人間が気づかないだけなのです」

 この世界は、さまざまなものがそれぞれの特性を活かすことによって絶妙なバランスが保たれ、持続している。その多くは、目に見えないもの、見えにくいものたちの健気な働きによっているということをわかってほしい。小林の祈りにのせて、小さき生き物たちの、声なき声が聞こえてくる。

 

※作品写真・上から 「SPROUT/芽生」「我想ーGASO/There we because I think we……」「喜ーKI/Pleasure」「氷結」「廻ーKAI/Cycle」

(撮影/中山 AMY 晶子(ポートレート含む)但し、「氷結」のみ撮影/クロダユキ)

(取材・原稿/神谷 真理子 『Japanist』第37号より転載)

 幼少の頃より小児喘息を患っていた小林和史は、いつしか紙で虫を作ることを始めていた。それはやがてリハビリテーションに、そして祈りへと昇華していった。

 やがて彼は1ミリを16等分に切り分けるほどの能力を身につけ、紙に命を吹き込むようになった。そんな彼は、〝God Hand〟とも呼ばれ、今では世界的に名の知られた人たちがコレクターとして名を連ねる。

 喘息に苦しんだ彼はどのようにしてその手業を身につけたのか。その真髄を紹介する。

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