作家紹介

アーチスト写真

初源の空に響く妙音を描く

玄なる空間を象であらわす

画家

松原賢

MATSUBARA Ken

母なる宇宙の音を聴く

 兄の住持する寺に来て数日。松原は特に何をするでもなく、日がな一日、山里の風景に浸っていた。それまでの能動的な時間とは打って変わって、長閑な時間が流れていた。寺の本堂で寝転がり、午後のまどろみの中、もの思いにふけるのも日課となっていた。ぽっかり空いた洞を覗き込むように、胸の裡を覗きこんでは三綱との時間を巻きもどす。そして最後はかならず、突きつけられた課題と対峙することになるのである。
 その時も、いつものように昼食を終えた松原は、横になって本堂の天井を見上げていた。と、裏山の方から人の声がする。一人、二人の声ではない。
「大勢の人が声明を唱えているような、御詠歌のような音楽的な旋律が聞こえてきたんです。心に染みる、なんともいえない懐かしい響きでした」
 どこかで原始的な信仰の集まりでもあるのかと思い、松原は表に出て声のする方に足を向けた。ところが、それらしき姿は見当たらない。音声もピタリと止んでしまった。不思議に思うも特に変わった様子もないので、ふたたび本堂にもどり横になった。すると、またあの音声が響いた。外に出た。しかし音声は消える。出入りを何度か繰り返すうち、理由がわかった。外に出てじっと耳をすますと、微かではあるが音がする。
「遠くの方で、市長選かなにかの演説をしていたようなんです。そのスピーカー音が山里の盆地にこだまして、ぶつかり絡み合いながら本堂の空間の中で美しい和音の調べを作っていたようです」
 のちに音楽家の友人に訊ねてみると、それは第5音といって自然の中でも起こるのだという。まして盆地なら不思議ではなく、複雑な山の樹々に反響して和音を作っていたのだろうということだった。
 意外にも音の正体は機械音であったが、松原は不思議とがっかりはしなかった。むしろ、機械的な濁音が自然の中でこれほど美しい音色に変化するものかと心打たれ、その後もしばらく本堂に響く心地よい調べに身を浸していた。やがて、松原の裡で何かが氷解し始めた。
「その頃の僕は、抽象というものを捉えきれず悶々としていた時期でした。頭では理解できるけれど、具体的な実感としてはわからない。ところが、その旋律を聴いて抽象というものを理解した。スピーカーの濁音という具象的なものと自然物が複雑に絡み合って、まったく違う抽象的な美しいハーモニーを作った。自然の浄化作用というか、それによって昇華されたような感じです」

 

 ――「抽象」とは、単に省略や単純化したものではなく、物の中に分け入り同化し、本質を捉え、深い認識の基に、昇華した姿でなくてはならないと実感した。――

 

 松原は抽象をそう捉えた。そして、そこに「音」を見つけた。外側に向いていた視点が内側に向かった時、はじめて本来の自己と初源の自然が響き合う。その音である。
「音というのは目に見えないものですが、東洋でいう、特に日本で言われる禅の〝空〟や〝無〟と同じだと思います。そこには何もないわけではなくて、密度もあれば、音もある。目には見えないけれど、そういうものが空間の中で漂いながら、互いに影響を与え合っているのだと思います」
 この体験の5年後、松原のライフワークとなる「音」の制作が始まる。

(作品上『月I・II』、下『月聲』)

独学で身につけた画才で空間世界を描く画家、松原賢さん。あるできごとから自然の初源に触れ、空間に潜む「音」の抽象をキャッチ。そこから生命誕生の原点に立ち返るがごとく、見えないものを見える象であらわそうと新たな表現に挑みつづけます。使う絵具も、土や砂、墨などの天然素材で手作りしたものばかり。絵という表現方法でオリジナルの人生を生きる、異才の人生ストーリーをご覧ください。

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