悠久の時をガラスに封じ込める
先人たちの思いを未来へつなぐ
ガラス作家
有永浩太
ARINAGA Kota
ガラスに封じ込めた時間軸
「吹きガラスの仕事というのは、時間との勝負。ある時間を過ぎると形がゆがんでしまう。できるだけ早く早く、という仕事なんです。それを、僕としてはもうちょっと手を加えたいというか、時間をかけてじっくり作りたかった。そこで、ずっと憧れていた織物の工程を取り入れてみたんです」
有永が求めたのは、時間軸。縦糸と横糸を張り、時間をかけて織り上げていく織物のように、長い時間をかけること。瞬間的に固まるガラスではあっても、ガラスがたどってきた道のりは長い。その二つの時間を一つのガラスに封じ込めたい。有永の思いが結実したのは、「ガーゼ」の語源にたどり着いた時だった。
「日本で使われるガーゼはドイツ語で、医療用の布と一緒に言葉が入ってきたようです。その語源をたどると発祥は中近東のあたり、『薄く目の荒い絹の織物』というものです」
はるか昔、ユーラシア大陸を走るシルクロードは、東西をむすぶ交易路として発展し、さまざまな物品や文化が中国を起点として中近東やヨーロッパ各地へと運び込まれた。とりわけ絹織物は道の名にふさわしく取引が盛んに行われ、その広がりとともに養蚕や製糸技術も伝えられた。
中近東へ渡った絹織物は、土地の名をもらい「ガザ」と呼ばれ、やがて地域特有の粗い織物を総称して「ガーゼ」や「ゴーズ」とドイツ医学の用語として使われるようになった。
他方、古代オリエントで誕生したガラスは、ローマ帝国時代に入るとガラス製造が盛んになり、大量に生産され交易品としてシルクロードや海路を渡ってユーラシア大陸各地へ広がっていった。その多くが吹きガラスであった。
「2000年前にすでに完成された吹きガラスの手法は、今もほとんど変わりません。その吹きガラスの歴史的な時間、続いてきた長い時間の先の方で僕は仕事をしている、古の人たちとつながっている、というような感覚があるんです」
異国の地で誕生した技術が国境を越えて受け継がれている。そこにあるのはただ「いいものを作り残したい」という思いだけ。子々孫々連綿と続く血脈のように、ガラス職人の心と技は時空を超えて有永の人生につながった。そしてまた、ガラスとガーゼの道が交差した瞬間、有永の中に眠っていた〝時〟の記憶も動き始めた。
(写真『netz 黒』)
ヴェネチアン・グラスの代表ともいえるレース・グラスの伝統技法をアレンジし、オリジナルの技法で創作するガラス作家の有永浩太さん。布をテーマに展開する作品に『gaze』と名付けたのは、ガラスとの不思議な繋がりがあったからだといいます。透明なガラスの中にはどんなドラマが織り込まているのでしょうか。