紅型で表す琉球の輝き
伝統を超えた色と型と光の饗宴
紅型作家
新垣 優香
ARAKAKI Yuka
目標に向かって
沖縄県那覇市。空と海が広がる、琉球の風舞うこの地に、新垣優香は生まれた。7人家族、5人きょうだいの末っ子。おとなしい子供だった。読書と絵を描くのが好きな物静かな父と、テニスにピアノにと多趣味で朗らかな元保育士の母の間で、自由にのびのびと育った。おかげで新垣も物静かではあるが人懐っこく、父を真似て絵を描いたり、母やきょうだいたちといっしょにテニスを楽しんだ。
両親どちらの特質もまんべんなく受け継いだ新垣だが、性格や顔はきょうだいの中でいちばん父親に似ているという。
「幼い頃におたふく風邪かと思って病院に行ったら、ただの丸顔だったということもあるんですよ(笑)」
その頃の面影を残したまま苦笑するも、やわらかい物腰と笑顔が彼女のあたたかい太陽のような心根を想像させる。
父親に似たのは顔だけではない。絵心もそのひとつ。小学校の頃は絵画コンクールに出せば、たいてい賞を獲得した。賞を取ることが嬉しくて、それを目標にして絵を描いた。
一方で、母の影響ではじめたテニスでも頭角を現した。きょうだいたちと打ち合う楽しみがクラブ活動へと発展し、高校進学はスポーツ推薦で県立首里高等学校に入学。県大会では何度も優勝を手にし、インターハイにも出場した。
スポーツ推薦での入学ではあったが、新垣がこの高校を選んだ理由は他にもあった。2つ上の姉が先にこの学校の染色デザイン科で学んでおり、「あなたに絶対合うから」と勧められていたのだ。
「1、2年の頃は普通授業もあるのですが、3年になると制作中心になっていきます。着物や帯、それ以外にもオブジェを作ったり。卒業制作展に向けて、3年間ともに過ごした仲間といっしょに朝早くから夜遅くまで学校に残って大きな壁画を制作したことは忘れられません。ほんとうに楽しかった。3年間があっという間でした」
当時、3年生の卒業制作である紅型の壁画は1年間、那覇空港に展示されることになっており、新垣たちの作品も歴代の卒業生の後を継いで空港に琉球の色を添えた。
沖縄の伝統工芸である紅型に、独自の技法で新たな風を吹き込む新進気鋭の紅型作家、新垣優香さん。大胆なスタイルとデザインで描く紅型は、一目見ただけで彼女の作品だとわかる。師匠につかず、独立独歩で歩んできたからこそ生まれた紅型の新しい世界をご覧あれ。