作家紹介
アーチスト写真

草で風を描く

見える景色の隠れた姿を写しとる

洋画家

岩井 綾女

Iwai Ayame

絵を描く理由

 念願どおり、岩井は専門科目に力を入れる私立高校に入学を果たす。苦手な背景を中心に絵を学べるとあって胸踊った。連日の体育会系並みのハードな練習も楽しんだ。朝はクロッキー、6限目以降は校門が閉まるまで水彩で風景を描く。日中の一般科目の授業以外、ほとんどの時間を絵を描いて過ごした。

「花壇に整然と並んでいる花には、あまり惹かれません。無造作だけれど、自由にたくましく生きる雑草が好きです。風景を描くようになってから、わたしは草が好きなんだとはっきり自覚するようになりました。中学生の頃も、登下校中に何気ない風景に感動することはよくありましたが、そこまではっきり自覚はしていませんでした。周りの好みとは違うな、と思っていたくらいで」

 好きなものが定まることほど心強いものはない。しかも草だという。多くの若者が好む流行ものとは対極にある。岩井はあきらかに同輩とは違う感性を宿している。それを自身で理解し、受け止めたところに芯の強さが見える。振り子のように揺れやすい思春期に、他者との違いを理解し、周りにながされずにいるのはそう容易いことではない。構図を学びながら、岩井はますます風景画に没頭していった。

 

 大学は当然、美大かと思いきや、国立埼玉大学教育学部に進学。最初は芸大への憧れもあったそうだが、

「美大を目指すモチベーションがなくなったんです。というのも、高校の美術部では県展や市展、全国高校生の美術展、その他一般の公募展などに出品するのですが、作品が入選や入賞するようになってから、自分の絵を描く目的が賞を獲得することになってしまって。最初は素直に嬉しかったんですよ。でも、絵を描くってそういうことじゃないはずと感じながらも入選や入賞への執着を消すことができず、そんな自分に疲れを感じていました。美大へ進んでもまた順位ばかり気にするのかと思うと、美大に進学しようというモチベーションを保つことはできませんでした」

 原点に戻ろう。ただ絵を描くのが好きだったころのように。岩井は標準を立て直し、絵を目標達成の道具にするのをやめた。教育学部を選んだのも教員になるためではなく、好きな絵を好きなように描きたいと思ったからだ。画家志望でもない。純粋に絵を描くことを楽しみたかったからである。

 

 文字どおり、岩井は大学生活を謳歌した。仲間と切磋琢磨しながら腕を磨き、足並みを揃えながらも客観的に自分自身を見る術を心得ていった。描けば描くほど自分というものも見えてきた。どうしたいのか、何を描きたいのか。はたして岩井の焦点はブレなかった。

「人物やいろんなモチーフを描くのではなく、好きな草で埋めていこうと思いました。草以外に惹かれるモチーフがないのなら、好きなもので埋めればいいと思って」

 人物の向こうに広がる風景。岩井の双眼は高校生のあの頃からずっと、草に釘付けにされていたのである。

 草が好き。一途な想いが筆を走らせた。しかし、思うように進まない。水彩では物足りないし、油だとひっかかる。草の柔らかさや滑らかさを出すにはどうすればいいのか。

「テンペラと油を混ぜればいい」と教えてくれたのは、所属していた研究室の指導教官でもあった洋画家の吉岡正人氏である。テンペラとは顔料を卵などのタンパク成分で溶いて描く技法で、ボッティチェリやピエロ・デラ・フランチェスカなど西欧の古典絵画によく見られる技法だ。不透明で速乾性があるのがテンペラの特徴だが、そこに乾きは遅いが透明感のある油を合わせることによって表現の幅は広がる。自身もテンペラと油彩の混合技法で描く吉岡氏は、鮮やかな群青と赤を基調として中世ヨーロッパであろう風景を抽象的に描く。その作風は有元利夫を彷彿とさせ、見るものを神秘の世界へ誘う。

 岩井は師の作風はもちろん、絵画技法に傾倒した。師の教えによって技法を獲得した岩井の筆は、水を得た魚のごとく生き生きとキャンヴァスを滑りはじめた。

 

高校生の頃に河川敷で風になぎ倒された枯草に魅せられて以来、草を描き続ける洋画家の岩井綾女さん。アーティスト仲間から「あなたの絵は風を感じる」と言われたことを機に、風を意識して描くように。絵を描く意味を問い続け、たどりついた現在の心境とは?

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