作家紹介
アーチスト写真

引き算の美学

西洋画と訣別して自分らしさを確立する

日本画家

那波多目 功一

Nabatame Kohichi

 

富貴譜

 

自分は日本人だと思った

 

日本人の感性が顕在化する

 日本画を描いていたが、ずっと憧れていたのはブラックやクリムト。岩絵の具に膠を混ぜて水で溶き、筆で描くという伝統的な手法を用いず、ペインティングナイフという不自由な道具を使ったり…。もしかすると、那波多目は自分が日本人であるという意識は希薄だったのだろうか。

「それはなかったですね。私はずっと自分が日本人だと感じてきました。どういう時にそれを意識したかと言えば、ご飯やみそ汁もそうですが、演歌が好きだったからです。演歌のメロディーや詩が私の魂を揺さぶる時、ああ自分はまぎれもなく日本人なんだと感じました。西洋にかぶれていましたが、ずっと自分は日本人だと意識していました」

 内閣総理大臣賞、日本芸術院賞に輝いた那波多目の代表作『富貴譜』(上)を見てみよう。

 この作品のモチーフを写生した場所は、福島県須賀川市の牡丹園である。まず、目当ての牡丹に向かわず、チューリップが咲いているところへ行った。そこでスケッチしたのは、数匹の蝶であった。空中を無軌道に、そしてリズミカルに飛ぶ蝶の動きに見とれ、思わず筆が動いてしまったのだ。

 その後、牡丹が咲き並ぶ場所に移り、一本の牡丹を見据えた。枝ぶりと花のつき方が那波多目の気をひいた。

 そして、画面中央やや左にその牡丹を描いていった。牡丹は無数にあるはずなのに、那波多目にはその牡丹しか目に入っていない。描いているうち、いつしか自分の人生をその牡丹に重ね合わせていた。

 白い牡丹の花は重量感があるのに軽やかな印象を与えてくれる。花の周りを飛んでいる十数匹の蝶に呼応するように、牡丹が動いているように見えるからだろうか。

 背景は、ほとんど省かれている。地面はごく一部が描かれているだけで、土と空気の境界もわからない。

 それにしても、なんと高貴な牡丹だろう。透けるような花びらは、まさに自然だけが創造できる芸術品。微かな風にも揺れるくらい薄く、それでいてしっかり生きている。

 那波多目は、自らが牡丹になり、蝶と戯れるつもりで描いたにちがいない。

 

完成しても、半分のでき

 

いつでも思うようにいかない

菊月 高校時代に日本画の登竜門をくぐり、その後一貫して日本画壇の第一人者の一人として活動を続けてきた異才・那波多目功一に、今、自分が立つ境地について訊ねた。

「自分に対する戒めでもあるのですが、これで仕上がり、と筆を置いた時はまだ半分のできだと思っているのです。これ以上描けない、という状態でようやく半分です。実際、冷静に自分が描いた絵を見ると、何かが足りない。本当にこの花は生きているのか、本当にこの赤でいいのか。実際の赤はもっと深くて鮮やかな色ではないか…。完成してから、再び描き始めます。ただし、そこから100パーセントのできにもっていくことはできません。せいぜい70パーセント。才能があればパッとできてしまうのでしょうが、私にはそれがないからあっちへぶつかりこっちへぶつかり…。もともと基礎も学ばず、執念だけで描き始めましたから、やむをえないと思います」

 那波多目の賞歴と本人の言葉がかみ合わない。人によっては有頂天になっているだろうに、那波多目はあくまでも謙虚だ。描いても描いても思うようにいかない。自分の至らなさに気づく。絵と真摯に向き合っているからだ。だからこそ、「愉しく絵を描く」という境地ではない。「ずっと絵は好きではなかった」という言葉の背景には、そういう事情もあるはずだ。

 しかし、それでも挑戦し続ける。題材は主に花だ。他のものも描きたいというが、世間がそれをさせてくれない。多くの美術ファンが「那波多目功一の花の絵をもっともっと見たい」と熱望しているからだ。

 那波多目の描く花は、実に魅惑的だ。今すぐ匂ってきそうなほど、息づいている。

 しかし、実際の通りに描いているかと言えば、そうではない。例えば、牡丹。牡丹は全体の上部に花をつけるが、那波多目のそれはやや下に降りている。逆説的ではあるが、そのものがそのものらしくあるために、嘘を描いてもいいということである。「本物を表現するのに、いかに嘘を上手に描くか」、那波多目は静かに言い切る。

※作品写真・上から 「惜春」「松山」「廃園」「月輪」「寂」「富貴譜」「菊月」

取材・原稿/髙久多美男(『Japanist』第1号より転載)

 日本画家として院展に落選し続ける父の姿を見て発奮し、高校2年の時、院展初出品にして初入選という快挙を果たした那波多目功一は、現在の日本画壇において押しも押されもせぬ第一人者として活躍している。

 しかし、現在の画風に至るまでは紆余曲折があった。53歳まで会社経営の傍ら、画業を続けたという異色の経歴の持ち主でもある。しかも、はじめの20年は西洋画もどきを描いていた。

「牡丹を描かせたら右に出る者はいない」と言われる那波多目功一の「引き算の美学」に迫る。

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