作家紹介

アーチスト写真

ガラスで表現する〝柔らかさ〟

本場ヴェネチアで開花したみずみずしい感性

ガラス作家

植木寛子

Ueki Hiroko

美を愛でる環境に生まれて

 植木は1978年9月25日、東京で生まれた。

 生家はエミール・ガレやモーリス・ドニなど、ヨーロッパの古美術を扱う画廊だった。このことは植木の感性を育むに際し、大きく利することになる。身の回りに〝本物〟があったことにより、知らず知らずのうちに〝いいもの〟を見る目が養われ、美を創造することへの憧れも増した。

「とても高価な作品だったはずですが、父は、子供の私を遠ざけようとはせず、『いいものだから触ってごらん』と言ってくれたのです。特にガレの作品には魅了されました。ガラスの質感、光によって微妙に変化する色合い、形の美しさ、そのどれもが直接触れてみることによって確かなものとして私の脳裏に刻まれました」

 西洋美術の磁力に引かれてか、物心つくと、植木の目は海外へ向いていた。そのために、中学時代は華道や茶道も習った。日本の伝統芸術が海外で生かせると思ったのだ。

 高校2年生のときにアメリカへ留学し、1年間、ペンシルヴァニア州の郊外の白人しかいない公立校に通った。

「特に美術の授業は楽しかったですね。日本の美術の授業とまったくちがっていたのです。基礎よりも人それぞれの感性を生かす方針でした。デッサンをするにしてもさかさまに描いてみたり……」

 日本に帰国してから、植木の頭の中を占めていたのは、パリで暮らしたいということだった。父の奨めで絵も描いていたこともあり、パリに住んで美術の仕事をしたいと願うようになった。高校を卒業後、すぐにでもフランスへ飛びたいと思っていたが、父にこう言われた。

「日本で基礎をつくってから行った方がいい。美術はそんなに甘い世界ではない」

 古美術商として本物の美術と商いの接点を見てきた人ゆえの言葉の重みがあった。

 父の助言に従い、女子美術短期大学に入学する。なぜ短大かといえば、なるべく早く日本で学業を終え、フランスへ行きたかったからだ。

 はやる心を抑えつつ、短大では油彩の抽象画を中心に、彫塑や日本画など、多岐にわたって美術のアウトラインを学んだ。同校は「広く浅く」学ぶことを主旨としていたのだ。

 植木のガラスアートは、その頃の経験が生かされているといっていい。着想の豊富さ、立体的な造形認識、独特の色彩感覚、そして日本人というアイデンティティを表現する術……。それらすべてが融合され、制作に生かされている。

 

フランスからルーマニアへ

 女子美術短大を卒業すると、すぐさまフランスへ渡る。てはじめに、南仏のアンティーブにあるフランス語学校へ通うことにした。3ヶ月間フランス語を学んだ後、パリへ移った。

 絵を描きながら、パリという街が放つ芳醇を味わった。1年ほど過ぎたある日、父から電話があり、「今、ルーマニアにいるのだが、ガレと同じ工法でガラスを作っている工房がある。明日ここに来なさい」と言われた。父は、NHKの『ガレの現在をたどる』という番組の取材のためにルーマニアを訪れていたのだった。早速、次の日、植木はパリを発ち、ルーマニアへ向かった。

「子供の頃からガレには親しんでいたので、とても興味を引かれました。劇薬を使ってガラスを溶かすという工法はすでになくなっていたとばかり思っていましたから」

「すぐに来なさい」と言われ、すぐに飛んで行った植木だったが、父はすでに次の取材地へ移動した後だった。

 しかし、突然のルーマニア行きは、植木にとって大きな転機となった。美大では油彩画を選択していたため、その道を進むことに疑いはなかったのだが、ルーマニアに残っていたガレの工法を目の当たりにして、幼い頃に抱いたガラスへの憧れが再燃するのである。

「ブカレストから車で2時間ほどのブゾーという町にホームステイさせてもらいながら、ガレの工法を学ぶことができました。当時のルーマニアはチャウシェスク政権が崩壊してからまだ10年くらいしかたっておらず、あちこちに独裁政権の傷跡が生々しく残っていました。ブゾーにはジプシーがたくさん住んでいて、交通ルールはあってないようなものでした。百年前にタイムスリップしたかのように感じました」

 陸の孤島のような環境に身を置いた植木だが、もちまえの行動力を生かし、さっそくルーマニアでガラスアートの制作を始める。

「それまでにもガレの工法は理論的に学んでいましたが、実際に見ると、なるほどと思うものばかり。理論だけではリアルに理解できないことも、実際にやってみると腑に落ちるものです」

 植木は一気にガラスの世界に引きずり込まれた。やがて、自分の油絵の世界をガラスで表現したいと思うようになった。

 ただ、一見、順風満帆のように見えるルーマニアでの修業も、孤独との闘いであったようだ。時々フランスに帰ると、安堵感と寂寥がないまぜになって空港でひとり泣いていたという。

短大を卒業後、単身渡欧し、やがてヴェネチアを拠点に制作を始めたガラス作家・植木寛子さん。「女性的なものが好き」という言葉どおり、ハイヒール、女神、クラゲなど、彼女の生み出す造形と色彩は妖しいほどに女性的である。

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