作家紹介

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山中に育てられたから、山中に恩を返したい

伝統を背負った蒔絵師の新たな挑戦

蒔絵師

松山 武司

Matsuyama Takeshi

 

伝統蒔絵の道

 山中漆器のはじまりは、およそ450年前、良質な材料を求め、山中温泉上流の真砂に移住してきた木地師の一団がロクロを挽き始めたことに端を発する。やがてその技術が定着し、温泉街を中心に商売がはじまると、江戸期には京都、会津、金沢などから塗師や蒔絵師を呼び寄せ技術を習得、独自の技法が発展してゆく。中でも蒔絵の技術は世界に類例を見ない日本独自の技法で、最古のものは正倉院の宝物「金銀鈿荘唐大刀(きんぎんでんそうからたち)」の鞘に施された「末金鏤作(まっきんるさく)」とされる。

 漆の起源は9000年前の縄文時代、蒔絵はおよそ1300年前の奈良時代(当時は「末金縷」と呼ばれ、「蒔絵」という名称になったのは平安時代から)と、ともに古くから日本に現存する貴重な資源である。漆器のことを「ジャパン」と呼ぶのも、それが日本特有のものであり、悠久の歴史をもつ日本の象徴だからだろう。

 伝統を受け継ぐということは、それだけの歴史を背負うことでもある。

 弟子入り先は徒弟制度ゆえ、数年後には出ていかねばならない。松山は、肌で感じた一本の筆の重みを胸に、黙々と下働きに精を出した。掃除や片付けから始まり、塗師から届く漆器にゴミや指紋がないかをひたすら検品する日々が続いた。

 蒔絵師として一人前になるには5年かかると聞いていたため、腹を据えて蒔絵の修業に励んだ。

「特別、絵が上手かったわけではありません。絵よりも粘土細工のようなものづくりの方が好きだったし、得意でした」

 根が几帳面なのだろう。与えられた仕事は誠実に、一つひとつていねいにこなし、予定通り5年後には独立を果たした。

「独立してはじめて、大変さを知りました。今までは、師匠のところに来る仕事をこなせばよかったのですが、自分で仕事を取ってこなければならない。待っていても仕事はきません。自分の足で営業する必要がありました。ただ、師匠のところにいたときに5点ほど作品を作っていたので、すぐに営業回りができた点は幸運でした」

 修業中、生活に困ることはなかった。収入はサラリーマンのそれには遠く及ばずとも、小遣いももらえたし、特に不自由を感じたこともない。弟子入りしたとはいえ、守られていたことには違いなかったのだ。独立とはすべての責任を自分で負うことなのだと、このとき初めて松山は思い知った。

「幸い、妻が以前アルバイトをしていた漆器店から注文があり、何とか生活もできました。ただ、自分たちは朝から晩まで働いても大量生産をする父の収入に及ばなかったのは悔しかったですね」

 ていねいに、一つひとつ「本物を作っている」という自負はあった。それなのになぜ? 憤悶する日々が続く。

 収入のこと以上に松山を悩ませたのは、蒔絵の技術だった。5年間、自分なりに腕を磨いてきたと思っていたが、作品を手に営業するようになり、上には上がいることを実感した。世の中に絵の上手い蒔絵師はごまんといる。営業に出なくとも、美術誌を開けばそれは明らかだ。自分はこれまで何をしてきたのだろう。ほかの蒔絵師の技術を見るたび、松山は己の未熟さを思い知った。

 ―― 一から学びなおさなければ。

 松山は時間の許す限り作品を見て回り、わずかな時間を見つけては美術書を開いた。書棚に所狭しと並んだ古書や資料は、彼が貪欲に学ぼうとした痕跡でもある。

「過去の名工の作品を見るたび感嘆しました。素晴らしい作品を目の当たりにすると、自分も描いてみたいという思いにかられます」

 人知れず腕を磨いていた松山に転機が訪れたのは、独立から7年後。山中漆器蒔絵組合の傘下である「研究開発委員会」にいた兄弟子から「山中塗研究会」に入らないかと誘われ入会した後のことだ。関係機関との交流が始まり顔を覚えてもらったことで、鼈甲職人との共同作業という新しい仕事が入った。思いもよらない提案に、松山の蒔絵に対する意識が変わった。伝統蒔絵にこだわりつづけ、なかなか殻から抜け出せず、悶々としていた矢先のことだった。

 鼈甲のアクセサリーに蒔絵を描くのはおもしろいほど手応えがあり、それでいて肩の力が抜けて自由に描くことができた。

「チャンスかもしれない」

 松山は、仕上げた作品を鼈甲細工の本場である長崎に持ち込んだ。ほとんど相手にされなかったが、あのときの鼈甲細工の職人の一人が「すばらしい」と言って、メーカーに紹介してくれた。こうして、鼈甲と蒔絵の革新的なコラボレーションが誕生する。20代も終わりに近づいていた頃のことである。

 職人の町に生まれ育ち、蒔絵職人の父親の背を見て育った松山武司は、父と同じ道を選ぶ。

 しかし、同じ道ではあるものの、内容はまったく違う。伝統技術から遠ざかる父に反し、伝統を受け継いでいくことを固く誓う。弟子入りして間もない頃、手渡された一本の筆に伝統の重みを知る。独立後、はじめて伝統を受け継ぐことの大変さを味わい、上には上がいることを知った。伝統を守るとはどういうことなのか。
 自分のことのように仲間を、町を、未来を憂う、蒔絵界の若きリーダーの思いに迫る。

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