作家紹介

アーチスト写真

月に万斛の思いを

伝統工芸と現代美術の玄妙な邂逅

箔工芸作家

裕人 礫翔

Rakusho Hiroto

銀への思い

 

月に願いを

 太陽の周りを地球が回り、その地球の周りを月が回る。それら天体の運行はきわめて緻密で、寸分の狂いもない。

 その秩序を基に、地上では円環が繰り広げられている。すなわち、地中の水分を吸って樹木が成長し、やがて燃えて土になり、長い年月をかけて金属になり、再び地中の水分を集めるというサイクルだ。この秩序を「日月火水木金土」と表したのは、いったい何者なのだろうか。

 礫翔が、月に特別の思いを抱いているということはすでに書いた通りだ。絶望のどん底で悲嘆にくれていた時に、すべてを包んでくれた月。その月は、天体の運行において、今も変わらず重要な役割を果たしている。

 そんな月に対し、さまざまな人たちがそれぞれの思いを抱いている。いにしえの人たちも現代の人たちも。

 銀閣寺の向月台で、義政はなにを思ったことだろう。厳島神社を設計した人は、月の力をどのように活用しようとしたのだろう。そもそも、日ごと痩せたり太ったり、あるいは円くなったり消えてしまったりする月を、人々はどのような思いで眺めていたのだろう。「山光無古今」、月を見る心にも時代の差などないということがわかる。

 また、一般にヨーロッパでは、月は不吉なものとしてとらえられていると聞くが、オーストリアには新月の夜にしか木を伐採しない製材業者がいる。新月の夜に伐採した木は、なぜか腐りも燃えもせず、虫もつかず、長年使えるのだという。月の不可思議な力に着目しているのは、日本人だけではないようだ。

 ところで、礫翔は金よりも銀の方が好きだという。彼の月に対する愛着を推し量ればそれも頷ける。

 では、銀のどのようなところが好きなのだろう。

「銀は硫黄と熱によって酸化させることで、淡い金→濃い金→赤い金→青い金→緑→紫→黒→墨と変化します。酸化を途中で止めることによって自分が欲しい色を得るのですが、そのさじ加減がとても難しい。金はシャープで色が安定していますが、銀は時間の経過とともに変化します。扱いにくいのですが、だからこそ『さび』を表現できるともいえます。私がどれほど月に癒されたか、それを表現するには銀が最も適していると思っています」

 礫翔は、西陣という伝統の地に立脚しながら、新来のものに対してもつねに扉を開いている。その柔らかな姿勢が実を結んだ作品ともいえるのではないだろうか。

 

伝統の技と現代の技術の幸福な邂逅

 今、礫翔が取り組んでいる仕事がある。デジタルアーカイブと彼は呼ぶが、端的にいえば、わが国の財産ともいうべき美術品を複製する事業である。劣化を防ぐために頻繁に展示できない、あるいはそもそも国外に流出してしまっているという作品を原寸大で複製し、美術館や寺社での展示、あるいは教育などに活用するというものだ。

 この事業にはキヤノンが深く関与している。同社の文化事業「綴プロジェクト」がそれだ。まず、同社のカメラを用い、作品をいくつかに分割して撮影する(総計数億画素)。それらを合成し、色の調整をした後、このプロジェクト用に開発した和紙や絹本に印刷する。

 礫翔の出番はそれからだ。金箔の部分は印刷では再現できないので、彼がその上から金箔を施すのだ。

「とにかく初めての試みでしたので、手引き書もなにもありません。当然ですが、絵の上から箔を貼ると、箔が絵の上になってしまいます。本来は箔の上に絵を描いたのですから、まず、金箔があたかも絵の下にあるような細工をしなければなりません。金のたらし込みや輪郭のぼかし具合もきわめて難しいですね。また、今は昔のように厚い箔はありません。薄い箔を用いて厚みを出すにはどうしたらいいかなど難問が山積していましたが、それらをひとつずつ解決し、今では一メートル離れたら学芸員にも本物と見分けがつかないくらい精緻に仕上げることができるようになりました」

 そのようにして作られた俵屋宗達の『風神雷神図屏風』を間近で見たが、その仕上がりは驚くべき精巧さであった。

 礫翔はその技術で特許を得ている。それができたのは、伝統の技を基にしながら新たなフィールドに果敢に挑んできたという制作姿勢があったからに他ならない。一連の仕事はキヤノンのサイト(※「綴プロジェクト」で検索)で見ることができる。一点制作するために数ヶ月もの時間を要するが、国家的な芸術を国民にとって身近なものとするために礫翔の技術と感性は存分に発揮されているのである。

「新しい金箔を四百年経過した姿にするという試みでもあります。作品が完成すると、もう何もしたくないと思うほど疲労困憊しますが、自分だからこそできる仕事だと思うと、またエネルギーが湧いてきます」

 西陣に生まれ、一度は西陣を離れた礫翔だが、今の彼を助けているのはまぎれもなく西陣の伝統の技と感性だ。ここに「不易流行」のひとつの形を見るのである。

※作品写真・上から 「月光礼賛」「月の記憶」制作中、「波濤図」「銀の小宇宙/小夜曲(セレナーデ)1」「俵屋宗達 風神雷神図屏風」(複製)

取材・原稿/髙久多美男(『Japanist』第21号より転載)

 40歳の時、西山裕人は、父から継いでいた箔工芸の事業を弟に譲り、箔工芸作家として生きていこうと決意する。裕人礫翔の誕生である。その後、礫翔は離婚し、3人の幼子を引き取ることになった。

 性も根も尽き果てた頃のある夜、月を眺めていると、ざわついた心が落ち着いた。その時の思いを胸に、彼は新たな境地を拓くべく研鑽を重ねていく。

 彼は絶体絶命のピンチをどのようにして切り抜け、箔工芸作家としての地歩を築いたのだろうか。

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