作家紹介

アーチスト写真

月に万斛の思いを

伝統工芸と現代美術の玄妙な邂逅

箔工芸作家

裕人 礫翔

Rakusho Hiroto

 

 

想像の余白

 

総合的な審美眼を磨く

 将来、父の後を継ぐと心に決めていた礫翔だが、意外なことに京都芸術短期大学(現・京都造形大学)の油彩科に進む。同大学の油彩科は抽象的な現代美術に特化している。奈良時代から続く伝統的な箔工芸とはかけ離れているようにも思える。

「もともと絵を描くのが好きだったこともありますし、いろいろなものを見て学びたいと思っていました。抽象画は、見る者に想像する余地を与えてくれます。人それぞれ何を感じてもいい。もちろん、それは具象画の世界にもあることですが……。そういう意味では、着物や帯の文様や柄とも共通しているのではないかと思っていました」

 礫翔は、カンディンスキーやマーク・ロスコが好きだというが、具体的なモチーフを描かずに季節感や心情を表現する着物や帯とそれらは通底するものがありそうだ。2年間、自由に現代絵画を学んだ礫翔は、京都市内の着物問屋に就職した。

「それも父の策略だったんですけどね(笑)」

 配属されたのは、帯の仕入れ部。全国にあるメーカーを回り、売れそうな帯を仕入れる仕事だ。入社していきなり仕入れを任されたというのは驚きだが、「いいものを選ぶ自信はありました」とさらりと言う。

 その会社に在籍していたのは約四年半。その間、日本全国を回りながらそれぞれの土地の特色を知り、多くの友人をつくった。後に礫翔の行動範囲は日本を飛び越えて海外にまで広がるが、その下地がその頃に培われたのかもしれない。

「京都にいるだけではわからなかったことも学べました。たとえば、大島紬や結城紬など、産地それぞれにどのような特色があるのかを肌で知ることができました。今、僕の仕事のフィールドは単に箔工芸だけに限らず、アパレルなどとも密接に関わっていますが、その原点がその頃にあるのではないかという気がします」

 さまざまなことを吸収して退職した礫翔は、父の会社・西山治作商店に入社した。他社で業界の大筋を見聞し、家業を継ぐべく父の会社に入るというのは、どの業界にもよくあることだ。

 最初の仕事は、営業だった。

「箔工芸はきわめて繊細な技術を要します。父の下で何十年も働いていた職人たちと競っても、まったく敵いません。彼らは体で覚えているのですから。僕ができることは、自分なりのアイデアで見本を作り、それで注文をとって職人たちに仕事を振ること。市場の動向を把握したり、いいものを見極めたり、それまでになかったものを提案するなど、総合的な仕事をすることでしか彼らには勝てないと思っていました」

 充実感をもって仕事をしていた彼だが、時代の移り変わりとともに、心に変化が現れる。

 

 

 

金の魅力

 

人はなぜ金や銀に惹かれるのか

「箔をつける」という言葉がある。「値打ちが高くなる」とか「貫禄がつく」という意味として使われることが多いが、それからもわかるように、昔から日本人は箔に対し、高い価値を見出していた。否、日本人に限らず外国人もしかりだろう。

 では、金箔の魅力とはなんだろうか。

「昔から御仏は金色に輝くと言われていました。また、金色は雅でありながら、権威の象徴としても崇められてきました。東南アジアではラッキーアイテムとして定着しています。私自身も金を扱うようになって、あらためてその素晴らしさに感嘆しています」

 金は、地球という惑星と悠久の時間が結合してできた、稀少な金属である。富の象徴として扱われることになったのも当然といえば当然だろう。また、「箔屋、がん知らず」という言葉があるように、金や銀は人体を健康に保つ力を内包しているようだ。

「金を打展することによって 0.1ミクロン厚に引き延ばしたものが金箔です。その厚さで均等に延ばすという技術において、日本は世界最高のレベルにありますが、そういうことも、箔工芸の進化に大きく寄与してきたと思います。通常、金97%に銀と銅を混ぜて延ばすのですが、金の含有量が多いほど赤みが増し、逆に少なくなるほど青みが増して薄くなります。そのあたりの微妙な色合いを考慮して金箔を作ってもらうのもセンスの出しどころですね」

 そのような特性をもつ金(あるいは銀など)を着物や帯に応用したというところが、日本人の大胆さといえる。

 ところが、冒頭にも書いたようにいかに高級西陣織といえど、寄る時代の波には勝てず、徐々に安物に抗えなくなった。価格競争が横行し、品質は二の次という傾向がますます強くなってきた。「作っていてもおもしろくない」と思っていた礫翔は四十歳の時、創作家として独立する。荒波にひとり漕ぎ出したのである。

 40歳の時、西山裕人は、父から継いでいた箔工芸の事業を弟に譲り、箔工芸作家として生きていこうと決意する。裕人礫翔の誕生である。その後、礫翔は離婚し、3人の幼子を引き取ることになった。

 性も根も尽き果てた頃のある夜、月を眺めていると、ざわついた心が落ち着いた。その時の思いを胸に、彼は新たな境地を拓くべく研鑽を重ねていく。

 彼は絶体絶命のピンチをどのようにして切り抜け、箔工芸作家としての地歩を築いたのだろうか。

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