コラム

いとしい

2021年3月13日

 漢字で書くと「愛しい」。愛しい我が子、愛しい人と、言葉ではうまく言い表せない切ない思いを、人はいつからか「いとしい」と言うようになりました。

 もとは幼児への愛情から、か弱く頼りなげで痛々しい、あわれでかわいそうなどと、気の毒がる様子でしたが、やがて「かわいい」「恋しい」「慕わしい」と、慈しむ様子に変化してゆきます。

 

 関西方面で両家の娘を「いとはん」というのも、幼児の愛称である「いとさま」が変化したもの。かわいらしい、愛くるしいお嬢さん、という意味なのでしょうね。

 ところで、愛を「いと」と読ませたのは、どういうわけでしょうか。染色家の志村ふくみさんの随筆『一色一生』に、もしやと思わせる一節があります。

 

「『いと』〝いとうなり。その細きにより絶えるをいとうにより――〟と、糸の語源にもしるされていますが、蚕はその息づかいを糸にのこして、小さな命とひきかえに、純白のつややかな糸をわれわれにあたえてくれます。この一綛(ひとかせ)の絹糸を掌にすれば、あたたかく、そっとにぎりしめると、内からの力がかえってきます。糸は生きていて、私にこたえてくれます。いとしいと思います。抱きしめたいほどいとしいと思います。」

 

 小さきものに宿る大きな生命力を、その温もりとともに感じるという志村さん。彼女の言に従えば「いと」とは糸であるとともに、生命という愛のかたまり。

「赤い糸」という言葉があるように、あふれる愛しさは命の共鳴。生命の糸はもともと結ばれているという証しなのかもしれませんね。

(210313 第85回)

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