美しとき

寡黙な働きもの

2023年11月28日

 

 11月23日は「勤労感謝の日」でした。働く人や、そこから生まれるものに感謝する日です。

子供のころは、「働く大人たちが休める日なんだな」と勝手に思っていましたが、なぜか小学生や中学生の自分たち子供だけが、学校が休みになるのが不思議でした。

長じてからも、「勤労感謝の日といって祝日なのに、なんで働くの?」と納得がいかない。

世界には、ぜったい働いてはいけない「安息日」というものもあるのに、なぜ?と、まったく的外れな疑問符が頭に浮かんだものです。

つまるところ、「勤労感謝」の意味を知らなかった、知ろうともしなかった、というわけです。

 

ようやくその意味を知ったのは、ずいぶん後になってから。恥ずかしいことに、人の子の親になって何年も経ってからです。

古くから日本に伝わる神事「新嘗祭」が由来で、新米などの農作物の収穫に感謝し、末長い五穀豊穣を願う日。天皇陛下自らが手本を示される、尊い儀礼のひとつだということ。

それが戦後に「勤労感謝の日」と制定されて国民の休日となったと、今ならインターネットを開けばすぐにわかることです。

 

そうして今、しみじみ「働く」ということを考えました。

わたしは、“働く人の姿”に惹かれます。

もっと言えば、“働く人の後ろ姿”に心惹かれる。

一心に、もくもくと働く人の姿は、どうしてあんなにも美しいのでしょう。

 

街なかでも、建築現場や土木現場で働く職人さんたちに出会うと、ふと足がとまります。

重い荷物を運ぶ配達員さん、地下鉄の階段や通路の端っこで、通行人の邪魔にならないよう遠慮がちに掃き掃除をする清掃員さん、庭木や街路樹の剪定をする植木屋さん、大工さん、塗装屋さん、料理をする人、それをサポートする人、本を並べる人、スーパーのレジ員さん、ワゴンに乗せた食材や調理済みのパックを手際よく並べる裏方の人……。

 

他にもたくさんいますが、とりわけ惹かれるのは、世間では見向きもされない、風景の中にひっそりと紛れ込んでいるような、好んで世界の片隅で働いているような人。

彼らは働いている姿を見られているとは夢にも思っていないでしょう。

それゆえ、無言でもくもくと働く彼らの後ろ姿は美しいのです。

 

もちろん、そうではない後ろ姿もあると思います。

でもそれは、単に背中や腰が曲がっているということではない。むしろ、農作業をするおじいちゃんおばあちゃんの後ろ姿は、腰が曲がっているほうが絵になります。

体がそのカタチになってしまうまで、その仕事をつづけてこられたのでしょうね。

無言の背中が語っています。

 

頭を垂れた稲穂のように自然に同化し、自然の働きと一体となるまで、その働きをやめない。

休むなんてとんでもない。

体内の臓器のように、いのち尽きるまで働きつづけるのです。

 

だとすると、「勤労感謝の日」というのは、なによりも自分の体への感謝のような気がしてきました。

働ける体があること、働ける環境があること、働ける仕事があること。

生まれてからずっと、休むことなく、人知れずもくもくと働きつづけてくれている身体に感謝する日。

ほんとうなら、毎日でもありがたく思うべきことですが、人は当たり前のことほど忘れがちになりますから、新嘗祭である勤労感謝の日はとくに、身体の働きにも目を向けてみようと思いました。

 

目に見えなくとも、耳に聞こえなくとも、ひと知れず働いている何かがある。

無言でもくもくと働く人たちのように、ひそやかに、しずかに、規則正しく働く何か。

黄昏どきの、金色の光に姿を見せる塵のような、瞬きをすればあっという間に消えてしまうようなもの。

やっと掴んでも、手のひらからはらはらとこぼれ落ちてしまう、小さな小さな砂つぶのような……。

そんなささやかで儚いものに支えられ、生かされているのだと思うと、つくづく「いのちの大きな働き」に感謝するばかりです。

(2023.11.26 no.2)

 

著者:神谷真理子

兵庫県姫路市出身。もの書き。
Chinomaサイトの「ちからのある言葉」、雑誌『Japanist』取材記事、保育園幼稚園関連の絵本など執筆。詩集『たったひとつが美しい』(神楽サロン出版)

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