美しとき

ささやかで完璧な日々

2024年1月30日

(注:映画『Perfect days』の内容に触れていますが、写真はまったく関係ありません)

 

「こんなふうに生きていけたなら」

この映画に、こんなキャッチコピーが付いていたとは知らなかった。

鑑賞中も観賞後も、なんどもそう思ったので深く納得した。

映画『Perfect days』。

昨年、第76回カンヌ国際映画祭で主演の役所広司さんが男優賞を受賞したことで話題になった。本年度第96回アカデミー賞でも国際長編映画賞にノミネートされた。監督はドイツ映画の名匠ヴィム・ヴェンダース。

 

東京の下町で暮らす清掃作業員(都内の公共トイレ掃除人)の「平山さん」が、この映画の主人公。彼のルーティンの日常を、ドキュメンタリータッチで描いている。

特に何が起こるわけでもない。2時間、淡々と繰り返される日常を見るだけだ。とても静かで、なんとなく禅僧やキリスト教の僧侶たちの生活を垣間見ているようでもあった。といって、あれほど厳粛で規律正しい窮屈さはない。もっとやわらかな時間が、とうとうと流れている。

 

平山さんは、トイレ掃除という仕事に誇りをもって毎日一生懸命働いている。

その日常は現実的ではあるものの、どこか非現実的で、夢物語のようにも思えた。

それゆえの「こんなふうに生きていけたなら」なのだろう。

わたしを含め、そこにいた鑑賞者のほとんどは、平山さんと同類ではないことは確かだと思う。

 

平山さんは、毎朝、近所のおばさんが掃除をする竹箒の音で目覚める。

布団をたたみ所定の位置に片づけると、階下へ降りて歯を磨き、霧吹きをもって2階にもどる。

少しずつ集めて大切に育てている樹木のひこばえに、水をかけてやるのだ。

作業服に着替えてふたたび階段を降り、降りてすぐ横の壁にしつらえた棚にある、きちんと並んだ財布やガラケー、鍵を持って外に出る。

一連の動作に無駄はない。

玄関からすぐ二階につながる階段も、玄関横の狭いキッチンも、一間半ほどの二階の部屋も、平山さんのルーティン動線にはちょうどいい。

玄関を出た平山さんは空を見上げる。早朝の澄んだ空気を吸い込み、一日のはじまりを思う。

自動販売機で缶コーヒーを買い、作業用のワゴン車に乗り込む。

いつもの通り、いつもの景色、いつもの曲がり角、いつもの場所で、その日の気分で選んだお気に入りのカセットテープを流す。

流れてきたのはThe Animalsの「House of The Rising Sun」。郷愁を誘う。その後も、平山さんの移動に合わせて60年代、70年代の音楽が流れる。

平山さんは音楽のセンスがいい。

本が好きで木が好きで、写真が趣味で、毎日の銭湯通いに行きつけの飲み屋、休日に通う古本屋とスナック。

ささやかでも上々な、男やもめならではの気楽な暮らしである。

 

どうやらトイレ掃除という清掃作業の仕事とその生活は、仕方なくというわけではなく、平山さん自らが選んだようだ。本や音楽のセレクトを見ても平山さんの高い知性はわかるのだが、彼の姪っ子と、その母親(平山さんの妹)が現れて、なにか理由があってその生活を選んだことがわかった。

平山さんが、ときどき哀しげな表情をするのはそのせいだったのか。

あきらかに平山さんを情けなく思い、見下している妹は、運転手付きの高級車に乗る富裕層の人だった。

家出をしてきた姪っ子に、平山さんが語った言葉が胸に刺さる。

 

「君のお母さんと僕とは、世界がちがう」(たぶんこんなセリフだったような)

 

ちがう世界に暮らしながら、それでもどこかで通じ、想い合いたいと願う。

その切なさが、しみじみと伝わってくる。

物静かな平山さんがときどき口にする言葉は、彼の愛する言葉をもたないモノたちの声のようにも聞こえた。

 

出会う人も出来事も、なにもかもを受け入れ、認め、許し、愛そうとする平山さんは、存在そのものが、とにかくやさしい。

なにか大きなものを失い、求めることを諦めたのだろうか。

 

最後のシーンが何度もよみがえる。

Lou Reedの「Perfect days」が流れる中、朝焼けに輝くいつもの道を走る平山さんの、泣き笑いの複雑な顔。

その顔は「愛しさ」でいっぱいだった。

「いとしい」という愛でる意味の「愛」だけではない。

「愛」という文字には、「かなし」という訓読みがある。

人への愛しさ、モノへの愛しさ、時への愛しさ、人生への愛しさは、そのまま「かなしさ」と結びつく。

無常感である。

 

平山さんは、現実的にいえば、切羽詰まってそうするしかない人の方が多いだろう境遇にいる。実際に、そういう人たちがこの映画を観たら、鼻で笑うかもしれない。いや、そもそも観ようとも思わないだろう。

それでもやっぱり、「平山さん」はどこかにいると思いたい。

 

今もふとした瞬間、平山さんの姿が浮かぶ。

すると、ふしぎと心が安らいでゆく。

もうすっかり、わたしの中で平山さんは友達のひとりなのだ。

平山さん、あなたに会いたいです。

(2024.1.30 no.3)

 

著者:神谷真理子

兵庫県姫路市出身。もの書き。
Chinomaサイトの「ちからのある言葉」、雑誌『Japanist』取材記事、保育園幼稚園関連の絵本など執筆。詩集『たったひとつが美しい』(神楽サロン出版)

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