コラム

藤波

2020年5月9日

 小さな紫の花房が風にたなびいている姿が波を思わせたのでしょう。藤の花が風にゆれる様子を「藤波」と言いますが、かつては藤の花そのものを「藤波」と言い、『万葉集』や『後撰和歌集』などにもたびたび歌われています。

 

――みな底の色さえ深き松が枝に 千歳をかねて咲ける藤波(『後撰和歌集』よみ人知らず)

 

 深い水底に負けないほど深い緑をたたえている長寿の松にあやかって、千年の繁栄を思わせるかのように咲きほこる藤の花。王朝時代の皇族に寄り添う藤原氏の様子が克明に描かれている歌です。

 蔦性の植物である藤の幹はやわらかく、隣り合う樹木に身を寄せるように枝を絡ませることで生き延びてゆきます。それゆえ長寿で繁殖力が強く、めでたい植物だとして、藤は古来より繁栄の象徴として用いられてきました。その読みが「不死身」や「富士」、二にあらずの「不二」にあてがわれたのも、察しがつきます。

 しかし元来、藤という名前は、花が風に散るという「風散」が由来。また、春と夏をまたぐ花として「二季草(ふたきぐさ)」という別名もあります。

 

 春のかよわさだけでは物足りず、夏の強さだけでも生きてはゆけない。春の赤と夏の青、ふたつの色をもった藤の花は女性そのもの。

 初夏の空に紫の波をうつ藤を見ると、権力争いの中でふたつの家を取りもち、心は波打ちながらも気品を失わず、たくましく生き抜き命をつないできた王朝時代以降の女性たちの後ろ姿を思わずにはいられません。

(200509 第71回)

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