コラム

いざよう

2019年7月26日

 出ようか、出るまいか…。進もうとしてもなかなか進めないでいる、ためらった様子を古くは「いさよう」と言いました。のちに濁音化して「いざよう」に。
 十五夜の翌日の月が「十六夜(いざよい)の月」と呼ばれるようになったのも、なかなか出てこないからだとか。欠け始めたことに戸惑っているのでしょうか。満月である十五夜の月が現れた時間より、一時間ほど遅れてようやく姿を現します。

 

―― 羅生門の夜は、まだ明けない。下から見ると、つめたく露を置いた甍や、丹塗りの剥げた欄干に、傾きかかった月の光が、いざよいながら、残っている。

 

 芥川龍之介の『羅生門』、8章の冒頭です。舞台は初冬の羅生門。早朝、まだ明けきらない空には、消えようか消えまいかと後ろ髪をひかれるように月が佇んでいる。まるで、そこで起こる一部始終を見届けようとしているかのようです。

 

 勢いがあるうちは、ためらうこともなく進めても、衰えを感じたり心配事があれば、二の足を踏むのも当然でしょう。
 消えるものがあれば、現れるものもある。人も月も同じですね。欠けたところは味わいのひとつ。戸惑いつつも、十六夜の月のように凛と輝いていたいものです。
(190726第50回)

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