美しい日本のことば

空蝉

2022年7月28日

「空蝉(うつせみ)」といえば、『源氏物語』を思い浮かべる人も多いでしょう。衣だけを残して姿を消した空蝉の女房に、光源氏が送った歌はみごとでした。

 

―― 空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな

 

 蝉が抜け殻を残して去ってしまったあとの木の下で、もぬけの殻となった衣を残していったあの人の、その気配をなおなつかしいと思っている、と切ない思いを伝えています。

 

 抜け殻ではあるけれど、そこにはちゃんと、ぬくもりをもった「あなた」という実像があった。ただよう気配がそれを証明している。幻などではない。それが現実だ。そんな風にも聞こえてきます。

 

 空蝉の語源は、「うつしおみ(現し臣)」。それが「うつそみ(現人)」となって「うつせみ」に。「夢か現か…」とも言われるように、「うつせみ」とは、目に見えない神に対する、この世の人という意味で、人間世界、生身のことです。

 生身の人間は、やがて息絶えます。それがこの世のならい。抜け殻の空蝉は、はかなく消えてゆく世の無常を表しています。

 

 はかない命と知っているからか、羽ばたいた蝉たちは声が枯れるまで啼きつづけます。実は啼くのはオスだけで、メスは啼かないそうです。めでたくカップルになると、蝉たちは次の世代を残して消えてゆきます。短い命を賢明に生きて、この世に生きた証を残すのです。

 

―― いつしかも日がしづみゆきうつせみの われもおのづからきわまるらしも(斎藤茂吉)

 

 斎藤茂吉が歌い遺したように、いつかこの世を去るときには自ずから極まるのでしょう。蝉のように生きれば、何かを残していけるかもしれませんね。

(220728 第115回)

著者:神谷真理子

兵庫県姫路市出身。もの書き。
Chinomaサイトの「ちからのある言葉」、雑誌『Japanist』取材記事、保育園幼稚園関連の絵本など執筆。詩集『たったひとつが美しい』(神楽サロン出版)

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